
劇の中で自己を愛するな
今日は、演劇をプレイする時に大切な一つの考え方をご紹介します。
それが、劇の中で自己を愛するなです。
演劇をやられたことがある方ならご存知かもしれませんね。
演劇を学ばれている方は今一度この大切な考え方をご確認いただいて、より一層素晴らしいプレイをされてください。
自己愛からの行動をする人は良いエネルギーを発することができません。
自己愛と自己を肯定できる気持ちは全く異なるもので、それを間違えちゃいけない。
自己愛は余裕のないFor meなんです。
本質的に自分を肯定できている人はFor youのスタンスでいられます。
例えばあなたが過去に嫌な気持ちになった出来事があってその気持ちを劇の中で誰かにぶつけて満足を得ようとしたら、自分も周りも幸せにできない。
個人的なはけ口に使ってはいけない。
あなたが強い憤りを感じたシーンを頭で思い浮かべながら似通ったシチュエーション演技の相手役にぶつけたとします。
(演技に個人的憤りをそのまま転用する。これは感情表現をしようとする時の大きな誤りです。そもそも感情は表現するものではなく・・・、長くなるのでそれについては割愛します。)
相手に罵詈雑言をぶつけて、ぶつけて、ふと相手の瞳を見て・・・
ハッと気がつくことでしょう。
何も解決していないことに。
相手役は困惑したり、悲しんだり、はたまた鏡のように憤りを露わにしているかもしれません。
満足ですか?
やった!相手に影響を与えてやったぜ!
そう思うでしょうか。
言いたいこと言えて最高に気持ちがいい!
そう思うでしょうか。
いいえ、おそらく、言葉を止めた後にじんわりと残るのは後悔や罪悪感。
そして、出してスッキリするはずがそれは全く消えておらず苦い気持ちが残っていることでしょう。
自分だけ気持ち良くなろうと思うのは未熟な考えです。
これは別の記事でまた改めて書きたいと思っているのですが、イラっとしても言わないのは勇気です。相手を傷つけるために言葉を使うのは無責任なことです。
伝えるなら責任を享受しなければならない。
誰にだって人の知らないところがありますよね。背景とか気持ちとか、他人には見えていないところが誰にでもある。
それを加味した上で関わること。
ただ、演劇をはけ口にするケースを見ると往々にしてそれがわかっていない。
(悲しいことに何度か立ち合ったり話を聞いたことがあります。)
ちょっと酸っぱい物言いになってしまったかもしれません。
悲しい気持ちや憤りの気持ちなど、感情を無視しろというお話ではありません。ですが感情ってエネルギーですから、使うなら素敵に使いたいじゃないですか。
プラスであろうがマイナスであろうが全部立ち上がるためのプロセスで、
周囲に人が集まってくる人はそれを理解した上で「素敵だと思う方へ進め」と自分に指令を出してそうさせているんです。
演劇は人間を理解する手段になる要素がたくさん詰まった分野です。
演劇とは社会を良くする手段そのものです。
演劇の事業を営んでおります立場から言いますと演劇の社会的役割は「感動」「共生」「自己実現」「他者受容」など素敵なことがたくさんあって、それ自体が目的になって苦しんだり(役作りのためにトラウマを抉ったり、などという話は実際にあるんです)ストレス解消の当て馬に使ったり(感情を投影してそのまま使う)することははき違えていると言わざるを得ません。
どんな道具だって使い方を間違えては恐ろしい武器になるのですから。