人前で堂々としたい人は、まずはここから始めよう
人前でも堂々と振る舞えるようになりたいです、というお悩み相談は数多く、
今日は「ぜひここから始めてほしい」という点をお話しします。
堂々としたい人のメンタルのままでは、
堂々と振る舞えるようにはならない
演劇では「優しい人」を演じる時に「優しくなろう」とはしません。
優しい人は、何らかの行為の結果優しく「見える」人です。
優しくなろう、優しくしなきゃのメンタルでは、「優しくなろうとしている人」にしか見えません。
「堂々としたい人」は「物怖じしている人」。
堂々としている人は人前でも物怖じしませんよね。それが当たり前なんです。
だから、堂々としたいなら「堂々としたいメンタル」から脱却して、堂々しているのが当たり前になること。
人前に出て「堂々としたい」と思うことをやめるというより、今自分がすべきこと・ここにいる目的を明らかにしてください。
人前に出るとひとくちに言ってもシチュエーションは様々なので
具体的にどのような趣旨の場において、どのような立場(セミナーのスピーカー?司会進行役?)を任されているのかによりますが、
自分がその場において任されている使命
の元、全うする意識でやる。
目的意識を持つと緊張緩和や躊躇を取り除くことに繋がるのですが、もしかすると心理学や演劇をご存知の方には耳タコの話かもしれませんので、
今日はさらに深掘りしてみます。
それが、
今日のこの場のことだけではなくこれから続いていく自身の人生の使命を全うすることまで意識すること。
目的意識を持っても緊張過多・躊躇の状態から抜け出せる感じがしない・・という体験をお持ちの方もおられると思います。
効果について信用できない方、いませんか。使えない方法論は意味がないですからね。
筆者も、「今日のこの時間の目的はこれだ!」と決めてから現場に入りますが、うまくいかない日を経験したことがあります。
と思いきや、自分でも驚くほど感情の伝導が起こってカタルシスを感じる創造的な時間になることもあります。
この差は何だろう?学びを何度さらってみても、答えはわかりませんでした。
それもそのはず。筆者は思い込みの罠にハマっていました。
・現在の目的に集中すること
・今ここに集中すること
これが大事なはずですが、効果的だったりそうでなかったりする理由。
念仏のように「今ここに集中しなきゃ」とか目的を唱えても、効果はイマイチ。
それは今の範囲があまりに狭すぎるからかもしれません。
(筆者は、2時間の会ならばその2時間を最大値の今として捉えていました。)
緊張するのがわかっているのに立ち向かおうと思わせている想いは何なのか?
自分を奮い立たせる何かとは?
もしかするとそれは、自分の使命や人生の目的に通ずることなのかもしれません。
そして今日の場は、そこからすると小さな一歩にしか過ぎないかもしれません。
それが思い込みの罠です。
今・現在と未来の境界線はどこにあるのか。
時間とは、ここまでが現在でここから先は未来!と明確な線引きがあるわけではありませんので、時間軸で安易に「今」の範囲を決めることはできません。
ちなみに、未来には絶対的未来と相対的未来があります。(堀江貴文さんが仰っている言葉です)
絶対的未来とは、天災など予測不可能なこと。
相対的未来とは、予想可能なこと。
実は相対的未来とは「見ようとした時点で既に変化する」もので、今にコントロールされるものでもあります。
時間軸の点では未来ですが、今意識することで変化する点では、その未来は今と言えます。
奮い立たせる原動力が未来の創造にあるならば使命レベルで集中することです。
フランクル心理学では、人生には常に意味があるとしています。生きている限り、私たちは投げかけられている問い(自分はこの人生で何ができるのか)に答え続けます。それがいわば使命です。
任された使命がある、ってことです。
それを全うすると決めているなら、その使命を果たすその時までは相対的未来(=今)です。
たとえそれが何十年先のことだとしても。ずっと、今が続く。
それが目的意識を持って今に集中し今日を生きることです。
その上で緊張する場に臨んだ時、緊張はするかもしれませんがいい緊張をします。
強い意志が目と言葉に宿ります。
本人は、自分の強い目的を持ってやることをやるだけ。
その姿を見た他者は、その人を「堂々としている」と評価するでしょう。