言葉に責任を持つのが大人【言葉に無責任な人に傷つけられないために】
残念ながら、この世の中には言葉に無責任な大人がいます。
否定の言葉や批判の言葉を「表現の自由」を盾に正当化している人がいます。
言葉は人に勇気や活力を与えてくれるパワーを持っていますが、使いようによっては傷つける凶器にもなります。
だから、大人は言葉の影響力に畏怖の念を持って使わねばなりません。
「あなたは間違ってるよ」とか「あなたのこと好きじゃない」とか、わざわざ言う必要あるでしょうか。
原則として、言葉は相手へのプレゼントです。
相手が喜ばない言葉はゴミと同じです。
なので、他者からの言葉を受け入れてあなたは傷つくかもしれないですが、そんな言葉はゴミ箱にポイして良し、なのです。
批判を生かしていくことが成長につながるという点において、それは必ずしも悪いものではないかもしれません。
ですが、真の批判は受け入れても痛くありません。
ちゃんと上手に批判してくれる人の言葉は真心です。その人はあなたのことをどこまでも大切にしてくれているから、聞こえ上は批判かもしれないけど「受け入れても痛くない」のです。
言葉選び、話す順序、話し方、タイミング、全て熟考や受け手への配慮がなされたものが批判。
人にものを伝える時には当たり前のことです。
自分が発した言葉が相手にどれほど大きな影響を与えうるか考える責任を放棄して言いっ放しにするくらいなら、口を出すべきではありません。大人ならば。
だから、あなたは無責任な人を無理して相手しなくてOK。
傷つく言葉をかけてきた人に真意を聞いてみると、「ただの意見だから気にしなくていいよ」など何の役にも立たない返しがくることでしょう。
なら最初から言わなきゃいいんです。
その人が言葉に無責任な証拠です。
思ったから口に出ちゃうのはしょうがないじゃん!というのは自制の効かない子どもがすること。
いい大人がすることではありません。
真面目な方ほど、批判や否定をありがたく受け入れて努力しなきゃ・・と思われるかもしれませんが、その人の好き嫌いに従属して自分が不在になることは後々苦しみを生んでしまいます。
あんまりしつこいようならこう言ってやりましょう!
「で、それを言って私に何をしてほしいんですか?」