それでも人を信じたかった人の話
話せばきっといつか分かり合えるはずだ
と信じていました。
そのような信条を持っている人は案外少なくないのではと思っています。
ですが、どうやら無理なようです。
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世の中を覆っている重苦しさ息苦しさ、夢や希望を持ちづらい空気感を変えて
笑顔と思いやりと幸せの国を創りたい
どうしてもその目標にたどり着きたくて、
演劇を広める活動をしています。
国と言っても実際に国をつくるわけではないのですが・・人が集まる公園のようなイメージです。
幸せの国にいる人はみんな笑顔で、「ありがとう」と伝え合い、手を差し伸べ合う。
演劇をはじめとした芸術がアトラクションになってくれれば、たまたまそこに居合わせた人たちでも笑顔を交わしあったり感謝し合う平和な景色がたくさん見られると思っています。
アトラクションをきっかけにして笑顔の伝播や「ありがとう」の伝播が起こったらどんなに素晴らしいか。
幸せの国=芸術のテーマパークです。
ただあまりに大きな夢で、実現するためには今の自分ひとりでは何もかも足りません。
なので、テーマパークをつくるために必要なものを揃えるべく事業を始めました。
事業を進めながら様々人生経験を重ねる中で、知りたくなかった現実を知ることになってしまいました。
それが、分かり合えない人がいるということです。
悪口は無くならないし
負のエネルギーを撒き散らすだけ撒き散らして何も感じていない人はいるし
何度お話ししても暖簾に腕押しで、時間外に「あぁ、何も聞いてくれなかったんだ」と思うようなアドバイスを要求してくる人はいるし
約束を破る人は繰り返すし
話し合っても平行線で、ひどく疲れました。おそらく相手も同じ気持ちだったろうと思います。
話し合えばきっと分かり合えるという拘りに囚われて、お互いが深傷を負うお別れになってしまったことは一度や二度ではありません。
円満にお別れする方法だってきっとあったはずですが、自身が未熟でした。
悪口も、非協力的な態度も、約束を破るのも、
こちらから見たら向こうが悪だ・改めるべきだと思っているけど
ここで大切なのは正しさか平和か?です。
正義と正義のぶつけ合いや論破で相手を打ち負かしたところで、幸せになれません。
相手はもちろん、おそらく自分もです。
上でお話ししたテーマパーク計画は、人を一切選ばず誰でも入れる場所にする予定でした。
ですが、
悪口をやめてもらえるとか協力してもらえるとか約束を守ってもらえるとか、
そのあたりの感覚が合う人でないと受け入れられないのが現実だろうと想像して
でも気付きたくなくて、それがずっと胸のつっかえになっていました。
今現在運営している事業の規模ですら「ルール」を作らざるを得なかったんですから
そりゃそうだって話なんですが・・。
いまだに「ルール」「規則」を作りたくなかったなぁ、という気持ちはあるのです。
ですが、腹を決めました。
来るもの拒まずをやめること。
コーチングでは「自分の意思で変わろうとしていない人は対象外」とされています。
コーチはクライアントを変えてあげることはできません。
変わるのは本人です。
拒んだり選んだりすることってユーザー側なら当たり前なんだけど、ホスト側になると急に悪いことをしている気分になっていました。
でも”誰にでも合う物”はあり得ないですし、その分合う人との出会いを大切にできるのかもしれません。