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生きることは不要不急

人が集まること、会って関係を築くこと、が悪いことであるかのような風潮があります。

会えたとしても声は控えめに。それがマナーの現在です。

 

「社交性が高い人がもてはやされる風潮が嫌だったんだよね〜ざまあみろ」

という言葉や

 

お店や有名人への嫌がらせや誹謗中傷

があるという信じられないような事実

 

正義を振りかざして人を叩くことを正当化している人たち

が思いやりを持てていないこと

 

 

世の中全体がギスギスしていて、

どんよりとした空気の中、光をどう見出せばいいのかわからず困惑して、

疲弊している社会が今です。

 

 

 

「芸術は衣食住と違い必要ないものだ」と言う人がいるということは、

芸術が大好きで仕事にしている立場からすると

わかりきったことでした。

 

芸術って、不要不急なんですよね。

だから縁遠い人にとっては一生縁遠いんです。

食べること住むこと着ることより普及率が低いのは不要不急だ(と思われている)から。

 

 

もちろん、イベントを開催する際には安全が確保されていることが絶対の条件です。

天候や地震には細心の注意を図るのが主催者として当たり前の責務であるし、

毎年インフルエンザが流行するシーズンは戦々恐々としておりました。

 

演劇は役の数だけ人が集まるし(スタッフ陣やお客様も入れると相当な数です)、

舞台だったら声を張るし、

お芝居の内容によっては身体接触もあるし、

感染症の流行で真っ先に矢面に立つような性質を持ち合わせまくっています。

 

感染症の流行を別にしてもはっきり言ってめんどくさいやつなんです、演劇って。

 

天災に左右されまくるし、人を集められなかったら何もできないし、

集まったとしても互いに協力しあう心がないと成立しないって・・

脆弱な体質なんです。

 

ついでにコスパも最悪です。

 

 

ただ、それでも心を掴んで離してくれないのが演劇です。

一度やると、「あぁ、またやりたい!」って思わされる魅力があるんです。

幼少期のお遊戯会がきっかけで大人になってから演劇をおやりに参加される方は多いです。

 

演劇をはじめとした芸術の力を信じています。

 

演劇の普及率が100パーセントになったら

そんな世の中が実現できたら

この世の中は本当に平和になるだろうと信じているから

お金がなくてもうまくいかないことがあっても努力を続けてこられました。

 

もう4〜5年前から、「衣食住芸」にするんだ!と息巻いていたのが自分です。

衣食住と同等に扱われていいんじゃないかなと思っているんです。

 

芸術、演劇って衣食住とは違って生きるのに必要ないよね、と言われることが多いです。

私自身はそう思いません。

 

意見を表明するために

生きるって言葉を定義しなきゃいけません。

 

演劇って必要ないよねと言う人は決して、演劇をおやりになったことがない人ではないです。

演劇の良いところもめんどくささも知っている人です。

 

おそらく、生きるという言葉の”捉える範囲”の違いにあります。

 

食べて寝て排泄ができれば、生きることはできます。

 

 

ですが、

生きるということは生命維持をすることだけではないはずです。

 

 

安全が確保されたら誰かと関わりたくなってくる。

(愛と所属の欲求といいます)

 

さらにその上には自分の価値を感じたい承認欲求や自己実現欲求という高次元欲求があり

欲求の断層は下から順に満たされていって、下が満たされないと夢も希望も抱けずストレスフルになる。

 

 

私たち人間にはそんな”幸せを求める機能”が備わっているわけです。

 

人生に愛がほしいし

「いいね!」と言いたいし言われたいし

自分史上最高の自分でいたいし

せっかく生きてるなら周りの人と至高の人生体験をしたいと願う生き物なんです。

 

 

 

別に、愛し愛されなくても「いいね!」と言われなくても心が震える体験がなくても何も達成しなくても

生命の維持はできます。

 

でも、生きていることをまざまざと感じられるのはそれらの素敵な経験や夢や希望があるからではないでしょうか。

 

食べること寝ることと違って急を要することではないかもしれません。

無いと生命維持ができないかと言うと、そんなことはありません。

 

生命維持と生きることは区別されるものです。

 

でなければ、私たちに”幸せを求める機能”が備わっている理由の説明がつかないから。

 

 

 

 

私たちは、今日も生きていきたい。

そう願わずにいられません。

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