【思無邪】心が貧しい人、お断りします。
演劇は世界的に生きる練習と認識されていて、もはや教育科目に演劇が追加されることは当たり前です。
(だけど日本では、まだまだ)
生きる練習:演劇は実社会で日々「本番」を求められるすべての大人にとって
時に憩いの場となり、また明日から社会で活躍できるように英気を養うものです。
・・・と信じているので
「演劇の活動によって得られる体感は実社会を生きる私たちにとってメリットがあるよ!」
と、コラムやメールマガジン、講座で発信している筆者です。
こんにちは!!
今日も演劇に関連するお話をしていきますが、書こう書こうと思ってなかなか文字にできなかったあることに触れてみます。
私が最も嫌いな心が貧しい人についてお話ししていきます。
決して気持ち良くはない言葉がちらほら出てきますので、読まれる際はご注意を・・・。
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■豊かな心■
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が、先に、豊かな心について演劇と絡めてお話しします。
私たちの日頃の行動と言葉は誰かへのとっておきのプレゼントになることもあれば、凶器になることもあります。
人間として成熟している真の大人は、それをわかって日々行動と言葉の選択をします。
人と相対する時や社交の場において、人にプレゼントを渡そうとすれば、自分本位で思いやりに欠けた行動や言葉は出ないはず。
そして、プレゼントを渡せるだけの心の余裕があること。
演劇を使って自己表現をすることは、娯楽的な楽しいを超えて豊かな心を育みます。
私は先の「プレゼントを渡すこと」を「↑(矢印)の方向」と呼んでいまして、相手の奥底の感情まで触れて感動というとっておきのプレゼントを受け取ってもらえるような演技をレッスン生さんと共に目指しています。
矢印を外/相手役に向けることで、それはFor youの姿勢となって「伝わる表現」ができるようになります。また、自意識が下がることで良くない緊張が緩和する効果もあります。
とっておきのプレゼントが渡せると、メンバーさん同士で自然と拍手が出てきます。
そうすると、渡した方も嬉しいですね。
貰った方も渡した方も感動というプレゼントを貰えたわけです。
プレゼントを渡すと、相手も嬉しい私も嬉しいで2倍お得!!
感動体験を繰り返すことによって、自信が出てきます。「もっと渡したい!」と。
そうしてどんどん自主性が高まりどんどん行動を起こせますから(時に大胆に)、その人の影響力は結果的に上がっていきます。
そう。
その人の心が豊かになればおのずと行動が変わっていくので関わっている周りも豊かにします。
自分も豊かになっていきます。
たったひとりが変われば、世界を変えることだってできる。これは、ENTRY ACTの理念でもあります。
ENTRY ACTが毎講座少数制を貫いているのは、この理念があるから。
目の前のたったひとりと心を通わせることが芸術活動において大事だと信じているから。
・・・ENTRY ACTの話を始めると長くなるので、話を戻します(笑)
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■演劇によって養えるもの■
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私が考える「演劇活動によって養える豊かな心」とは以下のイメージです。
がんばる大人は年齢性別問わず欲求不満の状態になりがちです。それは、社会性を求められる日常の中でどうしても抑圧せざるを得ないものがあるから。
ハートが満たされない状態が慢性的になると、人によっては身体に不調が出てきます。
今の生活に満たされなさやストレスを少しでも感じたら黄色信号。演劇や芸術、スポーツ活動を積極的に取り入れることをおすすめしています。
演劇では誰もが同じ立場になって「やってみる権利」を持ちます。
挑戦した結果失敗しても誰もそれを責めません。
圧倒的安心感の中で各々がトライアンドエラーを繰り返し、拍手して、拍手してもらって、自己肯定感を高めていくことができます。
そうしてハートが満たされると欲求不満の状態から抜け出します。
欲求不満の状態になると人は往々にして冷静さを欠いてしまいがちですが、満たされるとだんだんと思考がクリアになっていきます。
そして、その人の心には「周囲も自分自身も受け入れる土壌」ができます。
心にその土壌があれば、土から健やかな演技表現が育っていきます。
統制が取れた(訓練された)身体と行動の源となる栄養たっぷりのハートがあれば、情熱を持ちながら冷静に、質の高いパフォーマンスができます。
社会の「本番」でもエネルギーのある仕事ができるでしょう。
演劇のトライアンドエラーによってちょっとやそっとの失敗にはへこたれない強さもついていますから、エネルギーが切れない限り無敵です!
(エネルギーが切れたり疲れたりしたら演劇を楽しんでガソリン満タンにしてまた走り出せます♪)
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■思い邪無し■
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心が貧しい人は、先にお話しした「プレゼント」を渡すことを渋る人です。
周りの持っているものを欲しがり、我先にと周りを度外視して自分だけの安全を確保しようとします。
そういう人からは悪口は聞いたことがあっても誰かの良い話を聞いたことは全くと言っていいほどありません。
誰かを落としたとて自分が優位に立つことは決してないのに・・・。
この世はゼロサムゲームだとでも思っているのでしょうか。
演劇講座風に言うと「矢印が内向き」の状態です(笑)
また、主体性のなさも特徴として挙げられます。
主体性がない人は他人への関心が薄く、自分と向き合うことを拒絶しがちなので意思がありません。意見交換の場においてその姿勢が顕著に出ます。
ただし、いざ何かをしようとすると途端に言葉が出てきます。それが、「でも」「だって」。
自分や相手を受け入れる心の土壌が整っていないので物事に対してまず否定から入るのが常態化しており、行動に移せなかったり否定の言葉や言い訳、愚痴が多いです。
また、思考を放棄するため一時の感情にコントロールされてしまいがちです。冷静さを欠いて周囲の状況が見えなくなり、本人も気づいていない不誠実な言動が飛び出てくることもしばしば。成人した大人であってもどこか未成熟な印象を受けます。
心が貧しい人に関しては周囲が働きかけようとも関係なし。
一緒に居るとエネルギーを奪われますし、チームで一緒に何かをしようとしても協力を得ることは非常に難しいです。
「失敗したくない」「人より優位に立ちたい」「楽にいい思いがしたい」などの邪な思いが行動原理になっているので、
私は「そういう人とは一緒に楽しいことを創るのは難しいな」と感じましたし「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。だから、お別れしよう。」と何度も別れを繰り返しました。
嫌な気分になるたびに「思無邪」(論語)を思い出します。
―心素直に、偽り飾らず、邪悪な考えが無いこと―
ひがまず純真まっすぐであること。
偽り飾って人にすり寄ったり陰で誰かを貶めたりしないこと。
自分だけが良ければいいなどといった考えに自分を支配させないこと。
こういったことを生活に落とし込むと、もしかすると短期的に見るとちょっと損をするかもしれません。
偽り飾ることは処世術であってそもそも悪いことではないです(いいとか悪いとかではない)し、多少のズルなら、した方が得なこともあるでしょう。
ただ、私は「思無邪」の在り方がかっこいいと感じるし、選ぶようにしています。
演劇やってるのに生きるの下手か!(笑)と自分にツッコミたくなる日もあります。
最後は・・・
私事ですが、「思無邪」の言葉との出会いについて少しお話しして、この記事を終わりたいと思います。
亡くなった祖父が墓石に刻んだ言葉が、この漢字3文字だったんです。
(祖父の意向で敢えて名前を刻まず、この言葉だけが刻んであります)
祖父はENTRY ACT開業の年に急逝したのですが、その頃私は貧乏暇なしで結局最後まで会いに行けませんでした。
いや、飛行機代をケチって行かない選択をしていました。
食費を限界まで切り詰めて支払い催促の電話に怯える日々で本当に貧乏でしたが、それでも本当に100%無理だったのか?というと、ちょっと自信が無いのです。
祖父が亡くなった明け方に虫の知らせのような夢を見て、慌てて震えながら母に連絡を取った時の後悔の念、一生忘れません。
最後の最後まで大事なことを教えてもらったなぁ・・・と思います。(勉強熱心な国語の先生でした。「千雪」の名前も祖父からもらいました。)
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■人生宣誓■
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この世の仕組みが等価交換かどうかについては今の私には何とも言い難いところですが、
私は「くれくれマン」は好きではありませんので
矢印が内向きで自主性に欠ける「自分を守りたくてしょうがないマン」と共に
人間としてのお付き合いをお断りしています。
私は今もこれからも大好きなお客様と仕事仲間と家族友人と共に生きていくと決めています。
ENTRY ACTはこれからも
代表もスタッフも演技講師もお客様もみんな上下の関係ではなく人生の大事な「時間」を共に過ごすメンバーです。
お互いに時間は有限。だからこそ、この記事の内容にちょっとでも共感してくださるような価値観が同じ方と演劇をご一緒したいと思っています。
少しでも今日を楽しく、明日に希望を持って帰っていただけるように。
最高の「自己表現の場」「自己実現の場」をひたすら目指し営業します。
それが、時間を頂く=あなたの命を預けてくださることへの精一杯の姿勢です。