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演劇は道具でありおもちゃであり遊びだ

演劇を長年やって、行き着いた解答はタイトルの通り。

長年とは言っても仕事として13年、部活動や劇団活動で10年(間にブランクもありつつ)ほどで、

世間的には長いと言えないのかもしれないが・・。

10歳から現在に至るまでーーーとは言っても中学の3年間(←演劇部がなく断念)と高校の数ヶ月を除いてーーーずっと演劇を続けてきたのでまぁまぁいろんな人に会ったしまぁまぁいろんな体験もしたと思う。

 

最初は演劇を知って強く惹かれ、暇さえあれば演劇で遊んでいた。

これを仕事にできたらいいなと思ったので演技の方法をプロから学んで、海外の演技法を練習しまくった。

最初はできないことが多くて苦戦したが大学で得た心理学の学びとの共通点を感じて興味深かった。

学ぶだけじゃ仕事にはならないので、撮影と舞台とオーディション中心に生活を切り替えた。

そこで業界の裏側を見ることになる。ここでは詳しく書けないような出来事もたくさんあった。でも幸い本日も元気に生きているから、まぁ良し。

既存の団体や企業に属しても同じことの繰り返しになると悟り、起業するに至った。それがビンゴ。まだまだ道のり半ば過ぎる感が否めないが、なんとか創業8周年を迎えた。

 

経営するとなると事業が向かう方向性を必死に模索し決定し、行動しまくることが大事だ。

お客様や仲間が迷わないようにしっかり旗を掲げて振るのが役目。

そして継続して利益を生み出し続ける責任がある。利益を生むのはそれ自体が目的になってはいけなくて、社会に貢献することが目的・利益は手段。

利益だけを追求したら絶対に企業はうまくいかない。誰かを幸せにした結果がお金になって返ってくるだけだから。それが社会の仕組みだからよくできてる。

 

経営する中で何度も考えさせられた問題がある。

筆者は演劇のおもしろい原体験を世の中に広く知っていただければ、平和が訪れると信じている。マジで。

演劇ってその空間一帯を平和にする力があって、全員笑ってるし誰でもできるからみんなで参加できるのがすごいところで。

でも、そんな演劇は遊園地とか遊技場とか、音楽とか美術に足元にも及ばない。市場規模を調べるとそれをまざまざと見せつけられる。

演劇業界が消滅するのも時間の問題・・・というか、市場なんてない。

せっかくお客様が演劇に興味を持ってくれても、受け入れられる体制がまるで整ってない。

業界のお客様をつくれば市場は拡大できると思っていた。けど、本当にそれで良いのかだんだん自信がなくなってきた。演劇はおもしろいけど業界はおもしろくないし居心地も良くないのを知っているのに、すべてのお客様を囲えるほどの資源は私たちにはないのに人を誘い込んでいいのだろうか。それって無責任じゃないだろうか。

 

 

演じるの入り口を全開にして草の根活動をしてどうにかなるような簡単な問題じゃないんだ。

それでどうにかなるのは、演劇市場がちゃんとしてる前提があればこそなんだ。

5年やってやっとわかった。

 

 

さらに3年、間に現在まで続いているコロナ禍を挟んでやっとたどり着いた解答は

 

 

演劇は芸術とは呼べない

 

 

ということ。なんてことだ。総合芸術 演劇を看板に掲げて事業をやってきたのに。

 

筆者はコロナ禍前に毎年第九を聴きに行くのをとても楽しみにしていた。毎年同じ指揮者同じ会場同じ団体であっても違う色を魅せてくれながら、なんといってもベートーヴェンの意志を肌で感じられるから好きなんだ。そこは何度聴いても変わらない。きっと未来に残っていくだろう。不変的なのだ。

美術もとても心震わせられる。絵は昔から好きで、たぶんちょっとだけ得意だった。演劇部がなかった中学時代は美術部で絵を描いていた。(小学校の時は演劇クラブをつくったりしていたけど、なぜか中学ではそうしなかった)大人になってからは美術館でじっくりマイペースに鑑賞するのも好きだ。時代を超えて絵画と対面できているという事実が胸熱で、作者に想いを馳せる時間が好きだ。気になった絵の前でじっと佇んでるから、誰かと一緒に行ってもけっきょく出口のカフェで集合するパターン(笑)。

音楽も美術も不変的だ。

 

演劇はどうだろう。演劇は、変化することをとことん受け入れていくものだ。不変的の真逆なのだ。

同じテーマでインプロ(即興演劇)を何度やっても、2度と同じものにはならない。全部その時その場で変わるからおもしろいのだ。変化を楽しみ追求する演劇の心は、音楽や美術とは異質だ。

 

また、演劇が違うのは特殊技能ではないという点。話すこと歩くことはそれ自体は特殊な技能じゃない。

「昨日○○さんがこんな感じでさー、こう言っててさー」と、昨日あったことを友人に伝えるときに再現することが誰しもあると思う。演劇ってこれくらい当たり前なロールプレイングに過ぎない。

音楽も美術も、最近教育に取り入れられたダンスも特殊技能だから見て聴いた瞬間に明らかだが、演劇は文脈があってやっとわかるものなのだ。

 

そして、演劇は普遍性がない。それは言語の壁があるから。その場に合わせて変える必要があるのは演劇だけで、音楽も美術も場所に左右されない。

 

筆者は、芸術とは人類普遍の不変的なものだと考えている。

であれば演劇は芸術ではない。

 

 

 

では、演劇って何なのだろう。

 

今までずっと芸術の仲間だと思って疑ったことなんかなかった。それなのに今さら「えっ?きみ違うよ?」って仲間外れにされた気分だ。

 

 

演劇は道具なんだ

 

日常でよく見るロープレのように、人に体験を伝えるツールに仰々しく名前をつけたとしたらそれが演劇だ。それは昨日起きた些細な出来事だけじゃなくて大きな出来事もなんでも。歴史の授業がロープレだったら、もっと良い点数が取れたのになぁと大人になった今思う。

 

 

 

演劇はおもちゃなんだ

 

おままごとも演劇だし、人狼ゲームも演劇だ。どれもこれも「なにで遊ぼっか〜じゃあこれやろう!」と遊びの選択肢の中にある。少なくともさぁ今からやるぞ!と気合を入れて臨むものじゃなくて暇つぶしだしレクリエーションの一部である。

人に見せる公演はそうはいかないよ、という方がいるかもしれない。しかも見せる公演はだいたい台本があって、セリフを覚えなきゃ成立しない。でもセリフを正確に言うことはそこまで大事だと思わない。考え方は人それぞれだけど、見ている人が笑ったりハラハラしたりするユーモアがあってなんぼ。台本を書いたことは子どもの頃から何度もあるが、観客とかプレイヤーのノリによっておもしろいと思ったらアドリブをかましたって全然構わない。見せる公演ならなおのこと、正しさよりおもしろさを優先していいのではないか。幸い演劇はどれだけアドリブをかましてもなんとかなる。現にセリフが飛ぶことなんかよくあるし(笑)クラシックではおそらくそうはいかないだろう。

 

演劇は遊び心そのもので、それ単体の市場というのは成立しないというのが筆者の中での現時点の答えだ。

そのかわりすべての人の生活に溶け込んでいるし、「演劇×○○」のかたちで他のものとタッグを組んでおもしろいコンテンツが生まれるポテンシャル高きものだ。

 

 

 

 

というわけで、演劇市場を拡大するためにうにゃうにゃ考えるのは先日やめた(笑)

日々考え本気で挑戦し続けていると、発見が多い。中にはこの記事に書いたように「演劇って芸術じゃないのでは・・」「演劇って何かのための道具(手段)なんじゃ・・」「演劇っておもちゃカテゴリーなんじゃ・・」みたいに、人生の転換点になることもある。

演劇単品でなんとかしようと苦戦した20代を無駄とは思わない。「演劇は芸術の仲間なんだから、音楽みたいになれるはずだ!」と信じてやってきた。

やってやって、違和感が拭えなくて、それでもやって、演劇はそれだけでもってどうこうできるものじゃないとやっと諦めがついた。

「イギリスでは演劇が教科になってるから日本もそのムーブメントが起こるはず!音楽、美術、演劇!」と思っていたけど、諦めがついた頭でよく考えてみたら、ドラマエデュケーションは芸術の分野としての演劇ではなくてコミュニケーションとしての演劇であって、やっぱりちょっと違うんだ。コミュニケーション学習としての演劇(ロープレ)はいつか日本でも採用されるだろう。

 

演劇って芸術じゃないよねとか、何かのための手段だよねとか、おもちゃだよねとか、それ単品で成立しないよねとか、誰かの怒りに触れそうなことを書くのは少し(いやだいぶ)勇気が入ったけど、

炎上するほどアクセスされないであろうと祈って正直に率直に書くことにした(笑)

自身の思考の整理と、たまたま読んでくれた稀有な方が賛同してくれたらオールオッケー☆

 

まだ30代前半でこんなことを言っていいのか憚られたが、これが筆者の今の精一杯だから仕方がない。未来の自分がこれを読んできっと「バカだな〜若いな〜」と思うはず。そして、そうであってほしい。それは成長している証なので。

 

20代がそうであったように、この方向で努力を継続したらまた何かしらの結果が出る。

10年後には「やっぱこうでした!」と全然違うことを言う可能性もある。

試行錯誤実験だからそれでいい。

演劇と同じで、変化を楽しみたい。

 

転換点を何度も迎えて、まだ変わらない夢がある。

この夢は一貫して変わっていない。

 

遊園地をつくりたいのだ。平和の遊園地。

演劇は周辺一帯を平和にする謎の力を持っていて、それを使えば演劇をアトラクションにして巨大なパークができるんじゃないかと思っている。

資金があればジェットコースターのひとつやふたつ作りたいけど、そうなるとまだまだ遠い未来・・・。

いちばん大切にしたいのは、たまたま隣に居合わせただけの人と笑い合ってプチ交流ができるようなあたたかい空間であること。入園料は控えめに抑えて、週に何度も遊びに来られる場所。ひとりで遊園地に行くってちょっとハードルが高いけど、ここはそれができる。ちょっとだけショーを観たいとか(ご飯食べてお酒飲みつつ観られるのが絶対条件)、いやいや自分もちょっとゲームに参加してみたいぞとか、誰かと話したいとかひとりでゆっくりしたいとか、それぞれの楽しみ方ができる気軽過ぎる遊園地。ショーを最初から最後まで観なきゃいけない約束もなく、飽きたら離れて別のブースに行っても良いくらいラフに。

筆者は絶叫が好きなので資金があればジェットコースターもほしい(2回目)

 

 

 

 

というわけで、演劇業界をどうこうしようという気持ちは無くなり、演劇を使って本気で世の中を笑顔と拍手とハイタッチでいっぱいにしていくためにがんばると決めた。

演劇が大好きだ。それは10歳の時からずっと変わらない。

夢があまりに夢すぎるけれど、しつこいのは得意だからとことん追いかけてみよう。

 

 

 

 

<筆者より>

演劇の謎をひとつ解いた気がして嬉しくて書き殴ってしまいました。

もしも最後まで読んでくれた方がいたら、お付き合いくださりありがとうございました。

 

 

 

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